2011年7月25日月曜日

RubyKaigiのこと

RubyKaigi2011に参加してきた。

2006年に隣の席で働いていた高橋さんには内緒で当日スタッフに申し込んで以来、1回の司会を経て、実に6回目の運営側での参加。

つまり、一度も一般参加せずに終わってしまったと…

2011年が最後のRubyKaigiになるということは2010年の早い段階で決まっていて(確か)、その時点では「最後だから一般参加しよう」と思っていたのだけれど、RubyKaigi2010終わりのデニーズの帰りに島田さんから「来年もよろしくお願いします」と言われて、うっかり2011年も実行委員になってしまったのだった。
とはいいつつ、実際には2011年の会場を探すために2010年の5月(つまりRubyKaigi2010開催前)から私は動いていて、その時点で私のRubyKaigi2011は始まっていたので、会場を押さえた手前、最後まで面倒みたい、というのも2011年の実行委員になった理由の一つではあった。

会場側とのあれやこれやというのは色々ありはしたんだけど、今年一番のターニングポイントになったのは3/11の大地震と原発の事故。ちょいちょい大きな余震がある度に「RubyKaigiは開催できんのかしら」「開催中に地震来たらどう対応するのか真剣に考えなきゃ」とか「夏の練馬は角谷家が墨田区に引っ越すレベルって聞いたけど、冷房大丈夫?」「電気事業法第27条発令とか何なの?バカなの?」とか色々考えながらの数カ月結構たいへんだった。結果的に地震もなく(前日の設営時に大きめの余震があって気が引き締まった!)、冷房も概ね「ちょうどいい」との評価をいただけて、そこらへんを担当していた者としては非常に嬉しく思っています!

ところで、RubyKaigiの実行委員になると、その一年間はプライベートな時間をかなり削られる。私も家族(と呼ぶような恋人が居てな)との時間をずいぶんとRubyKaigiに費やしてきてしまって、その都度、喧嘩したり謝ったりしながら6年間過ごしてきたわけで。以前角谷さんが「RubyKaigiの為に家族を犠牲にしちゃダメ。家族をいちばんに考えて」的なことをどこかで書いたか言ったかしていたことがあった。ちょっと出典を思い出せないんだけど。で、それが私の指針にもなっているんだけど、私がRubyKaigiを楽しめるのはそれを楽しむことを許してくれる恋人がいるからで、彼女にはとても感謝しています。このブログは読んでないだろうけどもこの場を借りてありがとうを言っておきたい。
そして、もしもこの先RubyKaigi的な(地域RubyKaigiもね)何かの運営に携わる人がこれを読んでいるとしたら、どうか家族や恋人を大切にして下さい。大切な人との時間を犠牲にしてまでRubyKaigiに傾倒するのはいくない。

まあそんなこんなで、RubyKaigiは一旦終わってしまったわけなんだけど、2013年にあるであろう答え合わせまで、私はもっとRubyと向き合ってみようと思っている。そこに色々な気づきや出会いがあると信じて。

最後に、RubyKaigi、どうもありがとう。